2019年の秋に、ある日本人女性が安楽死する権利を得た。年齢は20代、本名は公開していないがTwitterで「くらんけ」というアカウントを持つ。スイスで人生の最期を迎える予定だ。
今の日本では、わざと死のタイミングを早めるような処置は認められていない。一方スイスでは、希望する外国人が合法的に安楽死できる制度がある。実際は安楽死とは呼ばず、自殺ほう助(自殺を助けるという意味)という処置によって死を迎える。もちろん誰でも受けられるわけではなく、厳しい審査を通った者だけが得られる権利だ。
2019年にNHKで『彼女は安楽死を選んだ』というドキュメンタリーが放送された。小島ミナさんという日本人女性が安楽死を受けるまでを追ったその番組は、大きな反響を呼んだ。
その数カ月後、くらんけさんも自殺ほう助を受ける権利を手にする。死を見つめる彼女が、胸に抱える思いを話してくれた。
この記事では、安楽死を「医師が処方した薬を、自分で投与して亡くなること」としています。
同記事で使う自殺ほう助(自殺を手助けすること)と同じ意味としました。
国や団体によって、言葉の定義が異なることがあります。
安楽死を迎えるまでの今
彼女は現在、重い神経難病によって思うように身体が動かず、ほぼ寝たきりに近い生活を送っている。両足は太ももから下が動かず感覚はないが、痛みには過敏なためちょっとした刺激で激痛が走る。両腕はひじから下に力が入らない。手首から先はほぼ動かないため、指にペンをはさみスマホをなんとか操作する状況だ。移動は車椅子で、生活には両親の介護を必要とする。
自由に動けないことに、強い苦痛をいつも感じている。家族以外の交友関係もなく、常に孤独。天井を見つめるだけで1日が終わることも、少なくない。
このような状況になるまでに、彼女のつらく長い闘病生活があった。
果てしなく続く治療と苦痛
彼女の病気が発症したのは、幼少期だった。物心がつくかどうかという子供の時から入退院を繰り返し、ここ10年では60回ほどにもおよぶ入院を経験してきた。
しかし耐え難い苦痛を伴う治療に耐えてきたのは、彼女の「治したい」という希望があったからではないという。
「幼少の頃から、たくさんの医療者の期待の輪の中にひとり座らされていた。私は、なんとなくそれに応えなければならない気がした」
気がつけばそんな義務感が身に着いてしまい、その一心で闘病していたのだ。
その思いで続けた療養生活の中で、現代医療ではこの病を改善させるのは難しい、と彼女はなんとなく理解し始めた。
効果がほとんど得られない治療は、もう限界ではないか。頭の中はいつも病気や薬のことでいっぱい。それでも治ることはない。
いつからか、「自分の人生って治療するだけなのかな」と考え始めた。その思いは、生きる意味、人としての尊厳を奪っていった。
生きがいの大切さ
人の手助けなしでは、日常生活を送ることさえ不可能だ。いくら障害を受け入れても、生活のほぼ全てを他者に頼らなければならない。その状況では、情けなさやみじめさを感じることが避けられない。
また、同年代の人たちがそれぞれ自由な人生を歩んでいくなか、自分だけが取り残されていく感覚。
「隣の芝は青く見えるとはよく言ったものです。自分が劣っているとか、不幸だとかはそんなに思わないけど、周りが、皆が、とても幸せそうに見えるときがある。ないものねだりのように」
そんな、どこか別の世界を眺めているかのような遠い感情を抱えながら生きていかなけらばならない。
「尊厳とは、その人の生き様が語るもの。自分なりにこれまで懸命に努力はしたものの、趣味や幸せ、楽しみを手に入れることはかなわなかった。つまらない感情にまで振り回されて、病気にも苦しめられ、時には人としてのプライドさえも踏みにじられながらただただ生きる。そんな人生は、私の生き様ではない」
生きていることが彼女に与えるものは苦痛しかなく、だんだんと、自ら死を選ぶことを考え始めた。
人生を終わらせるという決断
安楽死を受けようと決めたのには、きっかけがあった。
彼女の神経難病は、長年の検査でもとても診断が難しいものだった。昨年になって、ようやく病気の分類まで突き止められた。そこで医師から伝えられたのは2つ。病気が完治する可能性はないこと。症状の進行を抑えつつ、人生の伴侶として仲良く付き合っていくしかないこと。
ハッキリと宣告されたその言葉に、彼女はホッとしたという。「結果を聞いたおかげで、病とうまく付き合いながら生きていくことはしないという人生を、初めて自らの意志で選択する大きなきっかけになった」と振り返る。
そして彼女は、安楽死を受けるために動き始めた。
なぜ安楽死なのか?
死ぬために最初に考えたのは、自殺だった。ただ、今の体では自分で死ぬことはできない。自殺をするためにも手助けが必要になり、誰かに迷惑がかかる。
悩み抜いたすえにたどり着いた結論は、合法的に死ぬこと、つまり海外での安楽死だった。
そんな時、スイスの非営利団体が、外国人に対しても自殺ほう助をしていることを知った。情報収集を始め、ライフサークルという自殺ほう助団体に2019年2月入会。申請に必要な書類を準備するのには、多くのエネルギーも時間もかかった。
医師、英語通訳の専門家、弁護士の協力を得て、自殺ほう助の申請できたのは、入会から半年以上たってからだった。
安楽死がもらたしたもの
2019年10月、ライフサークルから彼女にメールが届いた。ほう助可能、という内容だ。予定日は3月。
「やっと死ぬことができる」
苦しみの日々から、ついに開放される。それまではいつも病気のことが頭から離れず、人生のすべてがつらかった。いつでも人生を終えられると思えたことで、ペットがかわいく見えたり、日常の何気ない変化に気づけるようになったと振り返る。「代わり映えしないと思っていたモノクロの世界に、淡く色が付いた。毎日がなんとなく新鮮に思えるとか、『いつでも終われる』ということが心に余裕と活力をもたらしてくれた」と話す。
自分の人生を操縦するのは自分自身
ベルギーの元パラリンピック金メダリストのマリーケ・フェルフールトさんも、2019年10月に安楽死で亡くなっている。マリーケさんは安楽死の権利を得た時に、「”人生の操縦席にいるのは自分”と思ったとたんに、急に楽になった。」と感じたという。その言葉に、くらんけさんはとても共感した。
死という明確なゴールが見えたことで、生活に彩りが添えられることもあると実感している。彼女にとって、死を選べることは心のよりどころとなっている。
両親の反対
ところが、3月に決まっていたスイスでの安楽死は延期になった。理由は、両親の強い反対によるものだった。自殺ほう助を受けることを家族に伝えておくのは、安楽死の申請をするために欠かせない。もちろん両親には伝えてはいたが、賛成はされていなかった。自殺ほう助の許可を得る時に家族の同意が必要なのでは?と疑問を感じるかもしれないが、実際は必須ではない。家族に伝えなければならないが、同意は必要なかったという。
彼女の両親は娘の苦悩を理解しつつも、やはり大切な子供を死なせたくないと葛藤し続けている。娘が病気にさんざん苦しむ様子を、ずっと横で見てきた。だから死にたいと思う気持ちはわかるが、それでも安楽死という選択を尊重することも賛成することもできない。
彼らの強い願いを押しのけて、同伴者を雇いスイスへ行くことは可能だ。だが、自己決定とワガママ、意地を張って自分の意向を貫くのは違う。周囲の尊重が得られてこその自己決定権なのだ、と彼女は話す。
両親と何度も話し合いを重ねた彼女は、3月の渡航こそ延期にはなったものの、ついに先日「スイスへのチケット」を手に入れたと話す。もちろん今でも両親は、彼女の安楽死に反対だ。理解はできても、親である限り賛成はできない。
しかし、これは他でもない自分の人生なのだから、自分の選択を分かってほしい。どんなに寄り添ってくれようとも、どんなに理解をしていても、つらさの肩代わりは、誰にもできない。そう訴え続けたという。
もしかしたら、死ぬという決断をこのまま認めてくれないかもしれない。それでも彼女が一番大切にしたい思い、それは人としての尊厳、つまり自分で人生を選ぶということなのだ。
届けたい思い
今回の経験をもとに、彼女はTwitter(@IrreKranke)で情報発信をしている。安楽死、突き詰めれば、死ぬ権利を獲得するための議論をすすめるために、自分が死を望むようになった理由を一部公開した。そこに寄せられた質問にも可能な限り的確に答えている。
死がもたらす「良い効果」を、今の日本で伝えられるのは、おそらく自分くらい。人生のゴールが明確になったことで心に余裕が生まれ、自分のことを整理しけじめをつけられる。死のうと思えばいつでも死ねると思えることで、限界を超えた今でも、ほんの少しだけ頑張れる。
その思いが、インターネットを通じて届けられている。安楽死制度は豊かに生きるため、より良く生きるための人生設計になるのではないか。彼女はそう考えているからだ。
ただ安楽死が広く知られるようになる一方、お金さえ出せば死ねると思う人が増えることを彼女は心配している。生きる権利と同じように死ぬ権利はあってもいいが、誰にでも認められるようになるべきではないと話す。
日々のストレスからの開放のために楽に死にたいことと、安楽死を同じにしてはいけない。尊重されるのは自己決定、人としての尊厳であるべきだと繰り返す。
死はいつでも隣に
安楽死について情報発信し、届いた質問にも1通1通真剣に返事をしている。
20数年という人生をずっと走り続ける彼女には、これからを生きる人にもメッセージがある。
人生は短いということをもっと意識して欲しいというものだ。
彼女から見ると、9割くらいの人はなんとなく生きている。死が遠いものだとして、自分の命がずっと続いていくという錯覚。しかし現実には、その瞬間がいつ訪れるか誰にもわからない。それでも、私たちは生まれた以上は必ず死ぬのだ。
人生を生ききるために
人生の時間が有限であることを、彼女はゲームのスコアアタックに例える。30秒という時間を決めて、その中でハイスコアを目指すために諦めることなく何度も何度もトライする。失敗してイライラしたり、成功して喜ぶ。飽きたり、限界を感じたら、別のゲームに変えることもできる。そんな風に、思う存分何でもチャレンジすべきだと言う。
死ぬ時に、楽しかった、と笑顔で言えるくらいアグレッシブに人生を送ってほしい。それが豊かに生きるということだ、と彼女は語る。
彼女はこれから人生の幕をおろす。しかしそれは、ただ死ぬことではない。彼女が選ぼうとしているのは、最期まで「彼女らしく生きること」なのだ。
死を見つめることで、人生が、命が輝く。そんな彼女が投げかける言葉を、私たちは忘れてはならない。
「死から目をそらすな」
安藤泰至(2019)、『安楽死・尊厳死を語る前に知っておきたいこと 』、岩波ブックレット
宮下洋一(2019)、『安楽死を遂げた日本人』、小学館
松田純(2018)、『安楽死・尊厳死の現在-最終段階の医療と自己決定』、中央公論新社